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津地方裁判所 昭和44年(ヨ)15号 判決

申請人 有限会社美しま

被申請人 近畿日本鉄道株式会社 外一名

主文

本件仮処分申請はいずれもこれを却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

第一、双方の申立

一、申請人

被申請人らは三重県鳥羽市鳥羽一丁目先公有水面中別紙水域目録〈省略〉記載の水域につき埋立のための一切の工事をしてはならないとの判決。

二、被申請人ら

主文第一項同旨の判決。

第二、申請の理由

一、申請人の地位

申請人は昭和三三年以来肩書地の別紙不動産目録第一記載の土地(以下本件土地という)および同目録第二記載の建物(以下本件建物という)において、伊勢志摩国立公園内の鳥羽湾および同湾上に浮ぶ真珠島に対する眺望を唯一の宣伝材料に利用して、美しまと称する観光旅館業を営んでいるものである。

二、被申請人らの地位

被申請人らは、三重県知事と共同で本件土地建物の南側に眼下に接する別紙水域目録記載の公有水面(以下本件水面という)の埋立工事をなすべく

(一)  被申請人近畿日本鉄道株式会社(以下被申請人近鉄と略称する)は、本件水面のうち別紙水域目録第一記載部分に別紙工事目録〈省略〉第一記載のとおりの鉄道敷を建設する目的をもつて、その鉄道敷予定水面について

(二)  被申請人鳥羽市は、本件水面のうち別紙水域目録第二記載の部分に宅地を造成してこれを民間人に払い下げる目的をもつて、その予定水面について

(三)  なおちなみに、三重県知事は、本件水面のうち別紙水域目録第三記載の部分に別紙工事目録第三記載のとおりの道路敷を建設する目的をもつて、その予定水面について

それぞれ公有水面埋立法に基づく埋立免許を港湾管理者の長としての三重県知事より受け、目下着々と本件水面の埋立工事に着手すべく準備を進めているものである。

三、申請人の被害

(一)  被申請人らの右埋立工事が開始され進行されたときには、申請人の占有或いは所有する本件土地、建物はクレーンや工事足場の組立による眺望侵害のほか、コンクリート杭の打ち込み、ダンプカーの走行、埋立などによる騒音、土埃等の放散流入による生活妨害を受け、更に被申請人らの埋立工事が竣功し、更に被申請人近鉄の別紙工事目録第一記載の工事が完成すると、申請人の本件建物の前の海はほとんどが埋め立てられて陸地となり、しかもそこに高さ六メートルの土盛の鉄道敷が横切ることになるため、鳥羽湾および真珠島に対する本件建物からの眺望は、一、二階からは全く遮蔽され三階からもその大部分がさえぎられてしまうことになる。

それ故、被申請人らの本件埋立工事等が開始されると、申請人の肩書地付近は観光地としての生命を絶たれてしまい、申請人の本件土地、建物の資産価値が激減するのみならず、風光明媚な鳥羽湾および真珠島に対する眺望を唯一の宣伝材料に利用している申請人の営業は致命的な打撃を被り、極めて近い将来に廃業やむなきに追い込まれることは必至である。

(二)  申請人は、現在肩書地の本館を中心にこれと自家用旅客船で結ぶ対岸(坂手海岸)の別館ニユー美しまとを合わせて、年間一億九、五〇〇万円の売上げを得ているものであるが、肩書地本館の売上げ減少および廃業は当然別館の売上げにも影響し、その廃業および売上げ減少による申請人の損害は莫大なものになることが予想される。

四、被申請人らの行為の違法性

(一)  公有水面埋立法上の違法

1(1)  申請人は生簀料理や大量仕入時における生魚保存のために、現在縦六~七メートル、横二、五~三メートル、深さ一メートルの生簀を本件土地内に保有し、本件水面からこの生簀に口径二インチのパイプと動力装置をもつて年間約五万四、〇〇〇トンの海水を引水している。また申請人は一年間に申請人の代表者の家族、従業員および年間約二万二、〇〇〇人におよぶ観光客の使用する約四、〇〇〇トンの下水量に右の引水量五万四、〇〇〇トンを加えた約六万トンの水を本件水面に排水している。

しかも右の引排水は、大正七年八月から本件土地上で営業してきた角卯旅館(本件水面に当然引排水していた)を申請人の代表者が昭和二八年八月に譲り受けて以来今日まで(その間の昭和三三年に会社へ組織変更する)継続して行なつているものである。

よつて申請人は公有水面埋立法第五条四号の権利者である。

(2)  申請人は昭和三七年七月鳥羽市坂手海岸の東雲荘旅館(現ニユー美しま)を譲り受けて以来、これと本件建物との間の鳥羽湾上を海運局の許可を受けた自家用旅客船で結び、現在五七人乗り一隻、四七人乗り一隻、一〇人乗り一隻の合計三隻で年間約一万二、五〇〇回運行し、観光客、従業員および出入業者等約九万二、五〇〇人と約四万人分の飲食物資等を運んでいるが、その運行はすべて本件水面内の岩崎桟橋やその附近の岸壁に自家用旅客船を離着岸させることにより行なつている。

従つて申請人は、右のことから公有水面埋立法第五条四号に準ずる権利者でもある。

2(1)  ところで公有水面の埋立免許は、その公有水面に関し権利を有する者の同意がなければ、原則として付与してはならないことになつている。しかるに被申請人らは申請人を同法所定の権利者ではないとして、本件水面の埋立免許申請書に他の者の同意書は添附しながら、申請人の同意書は添附していない。もつとも同法第四条二、三号に該当する場合には権利者の同意がなくとも免許の付与をなし得ることになつているが、本件被申請人らの場合は、後記のように、鉄道などを通すのに本件水面の埋立が絶対唯一の方法ではないし、しかも国立公園の景観を破壊して、申請人には引排水管の工事費用のみならず、営業の存廃にかゝわる損害を与えるものと見込まれる場合であるから、右の例外規定の適用される余地はない。

(2)  また被申請人らが免許権者である三重県知事に提出した本件水面の埋立免許申請書には、故意か過失か、被申請人鳥羽市の埋立目的として「観光施設用地」なる記載がなされているが、同被申請人は観光施設とは無関係な漁業補償用地としての埋立を目論んでいる。

(3)  従つて、いずれにしても、被申請人らに対する本件水面の埋立免許は行政訴訟により取り消さるべき違法のものであるから、かゝる違法な免許に基く本件水面の埋立工事もまた違法である。

(4)  仮りに、埋立免許が適法に付与されたものとしても、公有水面埋立法上の権利者である申請人に何んらの補償もしていないのであるから、同法第八条により工事着工は禁ぜられており、敢えてなすならばこれが違法であることは明らかである。

(二)  最善の被害防止手段を講ずる義務懈怠

たとえ権利の行使であつても、他人に与える損害はこれを最小限度に抑えるように努力するのが社会生活上当然要請される義務であるが、被申請人らは本件埋立工事についてこの義務を怠つている。このことは、被申請人らが鉄道敷、宅地あるいは道路敷として土地が必要であるならば正当な対価を支払つて既存の土地を買収すればよいのに、国民全体の財産ともいうべき国立公園の景観を破壞し、しかも申請人に対して死活にかゝわる程の損害を与えてまで本件水面を埋め立てなければならない合理的理由は見出せないということを摘示することによつて充分であろう。すなわち、

(1)  被申請人近鉄としては、既に本件水面際に志摩線という在来線を有しているので、その鉄道敷を拡張してカーブをゆるやかにするなり、現在の大阪線および名古屋線で使用している車両の角を落すことにより右の在来線を改良利用するか、それとも正当な対価を払つて市街地の裏側を通すなりして、他人に与える損害を防ぐ方法はいくらでも考えられる。百歩譲つて本件水面に路線を新設するとしても、沈埋トンネル工法により海底にこれを設けるとか、あるいは鉄道敷予定水面の長さが僅かに一二五メートルにすぎないのであるから架橋による工法も可能であろう。しかるに、被申請人近鉄は右の各工法では工費が高くなり、工事も長期化し、明年開催される万国博覧会に間に合わないという単なる営利上の都合のみで高さ六メートルにおよぶ前時代的な土盛高架の鉄道敷を敢えて建設すべく本件水面を埋め立てようとしているのである。

(2)  被申請人鳥羽市としては、埋立地を自ら使用するものではなく、これを自己の負担する漁業補償に充るのであるから、鳥羽市に財源さえあればなにも埋立を固執する必要はないところ、鳥羽市長が公印を押している本件水面の埋立免許申請書によると、鳥羽市が負担する埋立工事費用は一億三、九五〇万円におよんでいる。従つてこれだけの金額を埋立工事に投入するのをやめて補償に充てれば足りる筈である。しかるに、被申請人鳥羽市は同近鉄のいわゆる万博目当の計画に引きずられ、これに便乗して何らかの利得を得んとしているのである。

(三)  被申請人らの悪意

被申請人らは、本件水面の埋立工事をするときには、騒音、振動、土埃りなどの放散流入による生活妨害、景観破壊、いわゆる船舶離着岸権の侵害により、更に完成後においては眺望権の永久的侵奪により、申請人の観光旅館営業に対して回復困難な損害を与えることになることを知悉しながら、申請人には何んの相談もしないで本件水面の埋立免許の申請をしたのみならず、申請人が再三本件水面の埋立計画を中止、変更するよう陳情あるいは請求したにもかゝわらず、計画の中止、変更はもとより補償の意思さえも表明することなくして敢えて着々と工事の準備を進めている。

五、被保全権利

(一)  以上のとおりであるから、被申請人らの本件埋立工事は申請人の本件土地、建物に対する所有権、占有権および観光旅館営業権を侵害する不法行為であり、少なくとも権利の濫用となるものである。よつて申請人は被申請人らに対し本件土地、建物の所有権並びに占有権に基く妨害予防ないし排除請求権、本件土地、建物において眺望を唯一の宣伝材料として、また別館ニユー美しまとを結ぶ自家用旅客船を運行して営む営業権に基く妨害予防ないし排除請求権および不法行為そのものの効果としての妨害予防ないし排除請求権として本件水面埋立のための一切の工事の差止請求権がある。

(二)  また、被申請人らの本件水面の埋立工事は、いわゆる公害による生活利益の侵害救済と同一法理によつても差し止められるべきものである。

六、仮処分の必要性

申請人は被申請人らを相手取り右の工事禁止の本訴を準備中であるが、被申請人らは着々と工事準備を進めているためもし本件水面の埋立工事が開始されたときには、申請人としては致命的な損害を受け、後日本訴において勝訴判決がなされてもその目的を達することが不可能または著しく困難となる。

第三、被申請人らの本案前の抗弁並びにこれに対する申請人の答弁

一、被申請人らの主張

本件仮処分申請は行政訴訟法第四四条を潜脱するものであるから却下さるべきである。すなわち

(一)  本件仮処分申請の対象である工事は、昭和四四年四月一〇日出願人である被申請人らが三重県知事から公有水面埋立法によつて免許を受けた埋立工事の範囲と正に一致する。

(二)  ところで同法に基いて知事がなした免許は、出願人である被申請人らに対して本件水面を埋立てゝ土地を造成しその竣工認可を条件として埋立地の所有権を取得する権能を賦与した特許の行政処分であるところ、本件仮処分の申請は右行政処分に基く本件水面についての埋立工事を全面的に禁止することを求め、ひいては被申請人らの将来における埋立土地の所有権取得の権能をも否定せんとするものである。このことは既になされた埋立免許なる行政処分の無効もしくは取消を前提として行政事件訴訟上その執行停止がなされた場合と同様の法律関係あるいは事実状態の実現を目的とするものであるといわなければならない。

(三)  従つて、もし本件仮処分申請が許容されると、被保全権利が私権に対する妨害予防ないし排除請求権にあるとしても、行政処分(埋立免許)に抵触またはこれを停止したと同一の状態を作出することになるから、行政事件訴訟法第四四条に照らして許されない。

二、申請人の答弁

被申請人らの右主張は独自の見解であつて理由がない。すなわち、埋立工事自体が公権力の行使といえる場合には、それによつて被害を受ける者は行政訴訟によつて免許の効力を争うことも、通常の民事訴訟により工事だけの差止を求めることも許される。本件の場合、被申請人近鉄は私企業であつて何ら公権力と関係なく、また同鳥羽市の埋立も権力的行為ではないから、いずれも行政訴訟の対象とはなり得ず、民事訴訟以外に救済を求める方法はない。

第四、被申請人らの答弁並びに主張

一、申請の理由一、の事実中、申請人が鳥羽湾および真珠島に対する眺望を唯一の宣伝材料に利用していることは知らないが、その余の事実は認める。

二、申請の理由二、の事実は認める。

もつとも、被申請人鳥羽市における埋立目的は、単に埋立地を宅地として民間人に払い下げることのみにあるわけではない。第一義的な目的は国道および鉄道敷保全のための必要性という埋立工事自体に目的があるのであつて、宅地を造成しこれを民間人に払い下げるということは、むしろ結果的派生的な利用目的にすぎず、その利用方法は今後情勢の変化に応じて市民の利益に結びつけたより公共的なものにするべく検討を加える予定になつているし、一部は市道開設の用地として確保するためである。

三、(一) 申請の理由三、の(一)の事実中被申請人らの埋立工事が開始され進行する過程において、コンクリート杭の打ち込み、ダンプカーの走行、埋立自体等に伴い騒音、土埃りなどが申請人経営にかゝる本件建物にも若干放散流入するであろうこと、また埋立工事竣功後には本件建物の前方に当る本件水面が陸地となり、更に被申請人近鉄の鉄道敷も完成したときにはそこに最も高い箇所で東京湾中等潮位から約六メートルの土盛高架による鉄道敷が横切ることになることは認めるが、その余の事実は否認する。

被申請人近鉄が設ける鉄道敷は、右のように東京湾中等潮位から六メートルの高さを頂点にして両方向に徐々に低くなるように建設されるものであつて、決して長城を築くような形状ではない。一方申請人の本件建物は同潮位から一、六メートル程高い地盤に建設されているから、結局申請人の本件建物から見た場合には、最も高い箇所でも四、四メートルとなり、一般に家屋の二階床の高さは地上約三メートルであるからこれに人の身長を加算してみれば申請人の建物二階からの眺望も一概に害されることにはならず、ましてや三階からの眺望も遮蔽されてしまうものとは考えられない。のみならず、本件建物の客室と広間は一階に五室、二階に一〇室、三階に一一室と合計二六室あるようであるが、その海岸側には高さ約三メートルにおよぶ庭樹が隙間なく植込まれているため、現在でも一階客室からの鳥羽湾に対する眺望は南側の二室を除いて他は不可能になつているし、二、三階の客室でも鳥羽湾を望見できるものは東側の一〇余室にすぎず、しかもそれは室内からと言つても窓縁ベランダから望見できるだけのことである。また本件水面が埋立てられることにより、現在申請人の本件建物から約三〇メートル先にある海岸が約一〇〇メートル程度遠ざかるが、同時に現在本件土地に接して施設されている被申請人近鉄の志摩線鉄道敷も約五〇メートル以上離れることになるため、申請人にとつては従来の電車往来に伴う景観遮蔽や騒音等の障害がはるかに解消される筈であり、加えて埋立地岸壁道路、鉄道敷がそれぞれ近代化され整備される結果、かえつて美観を新にするうえ、国道バイパスの完成と現在宇治山田止りの近鉄電車が鳥羽市を経て賢島までの直通乗入れが実現した暁には、鳥羽市に来遊する観光客も著しく増加して申請人もその余恵を受けるに相違なく、地価もまた将来騰貴こそすれ下落することなど想像できない。要するに、申請人が致命的打撃を被り極めて近い将来に廃業やむなきに追い込まれる事態が発生するとは到底考えられない。

(二) 申請の理由三、の(二)の事実中、申請人が本件建物と対岸坂手島の別館ニユー美しまの間を自家用旅客船で連絡し、その双方における観光旅館営業により年間一億九、五〇〇万円の売り上げをしていることは認めるが、その余は否認する。

申請人の右売り上げ額の大部分は別館ニユー美しまにおける営業によるものであつて、本件建物における営業による収益は僅少である。

四、(一)1(1)  申請の理由四、の(一)1(1) の事実中、申請人が本件土地内に生簀を保有し、現在パイプと動力装置を使つて本件水面から海水を引水していること、また相当長年月に亘り本件水面に排水していることは認めるが、その余を争う。

申請人は本件土地、建物から岸壁(物揚敷)および被申請人近鉄の鉄道敷の各地下を延長一〇メートル以上土管で穿つて本件水面へ排水をなすと共に生簀へ海水を引水しているのであるが、右排水には直径四五センチメートル(一二吋)の土管を使用し、引水はその土管の中に直径五センチメートル(二吋)の細い管を入れて動力をもつて汲入れる方法をとつている。しかし右申請人の引排水は港湾管理者の許可も被申請人近鉄の承認も受けていないのであつて、一般家庭用下水の排水が多年黙過されてきたのに乗じてその土管を利用し動力まで用いて引水しているまでのことであるから、いかに長期間に亘り大量に利用してきたといつても、あくまで違法の行為であり、公有水面埋立法第五条の権利者ではない。

(2)  申請の理由四、の(一)1(2) の事実中、申請人が本件水面の岩崎桟橋やその付近の岸壁(物揚敷)に自家用旅客船を離着岸させて旅客、従業員や飲食物資等を対岸の坂手海岸まで運搬していることは認めるが、隻数、運行回数、運搬量等その余を争う。

申請人が使用している岩崎桟橋およびその付近の岸壁は港湾施設であつて、一般人が自由に利用し得るところの公物であり、他人の共同使用を妨げない限度で一般公衆の自由な使用に供することを目的とするものである。申請人の右の使用はその一般使用であつて、利用者たる申請人に権利を設定するものではなく、公物が公共の目的に供されている場合の反射的利益にすぎない。すなわち、公物である岸壁を一般人として利用しその利益を享受しているにとどまるのであるからこれまた権利として認められるものではない。

2(1)  申請の理由四、の(一)2(1) の事実中、被申請人らが三重県知事に提出した本件水面の埋立免許申請書に申請人の同意書が添付されていないことは認めるが、その余を争う。

(2)  申請の理由四、の(一)2(2) の事実中、右の免許申請書には本件被申請人鳥羽市の埋立目的として「観光施設用地」なる記載がなされていることは認めるが、本件被申請人鳥羽市としては埋立地の譲渡を受ける者に対し観光施設として利用することを確約せしめているから、本件申請人のこの点に関する非難は当らない。

(3)  申請の理由四、の(一)2(3) の主張は争う。

(4)  申請の理由四、の(一)2(4) の主張は争う。

(二)1 申請の理由四、の(二)の各事実中、被申請人近鉄が本件水面際に在来線を有していること、被申請人鳥羽市においては埋立地の大部分を漁業補償に充る予定であることは認めるが、その余を争う。

2 被申請人らが本件水面の埋立工事等をなす意義、埋立水域並びに工事方法決定の経緯理由は次のとおりである。

(1) 国道の管理者三重県知事においては、現在の国道一六七号線が鳥羽市内の繁華街を通過する巾員六ないし七メートルの歩道との区分もない狭隘な道路であるのに、奥志摩方面と伊勢市を経由して全国に通ずる主要道路として、また鳥羽市内の観光遊歩道として、更には市民の地域道路として三様に供せられているため、近時定期バス、遊覧バス、貨客自動車の激増、大型化と歩行客の増加により、真に憂慮さるべき状態になつたことから、この緩和策としてバイパス道路の建設を計画し、一方被申請人近鉄においても、鳥羽市および奥志摩地方五か町村からの要望に基き、奥志摩地方を中部圏および近畿圏、広くは全国のリクリエーシヨン地域に開発発展させると共に沿線居住者の北部工業地帯への通勤をはかるため、奥志摩地方と中京および京阪神地区とを短時間で結ぶ直通電車運転のための新路線を敷設する計画を立てたのであるが、国道バイパスの建設にしても鉄道建設にしても先ず広大な用地を取得する必要があり、かつ両者は共に交通事業であるため統合計画により進めることとなり、三重県知事および被申請人近鉄は地元鳥羽市にも参加を求めて二年間に亘り検討した結果、先ず市街地を通過させる案は、海岸線と山裾の狭少な帯状地に人家が密集している鳥羽市では、多くの民家移転に莫大な補償費用を要するばかりでなく、換地の入手も不可能であることから実現不可能であるとの結論になり、次に市街地西方の山側を通すいわゆる山側案も、単なる通過路線としては有効であるけれども、国鉄鳥羽駅や鳥羽港との接合が悪く、殊に市内から発生する一日三、〇〇〇台の車両の乗り入れに利便を欠くことになるため、これまた適当ではないことになり、結局市街地東方の海岸線を廻る海岸線案が市民に対し最も被害も少なくかつ効果的であり、しかも国鉄駅裏側に現在建設中の交通統合開発計画、すなわち被申請人近鉄の鳥羽駅、フエリー輸送船水中翼船の公共埠頭、バスターミナル、駐車場など海陸の交通観光施設を有機的に統合設置しようとする計画にも適合するので、この海岸線案が採用を決定され、バイパス道路敷および近鉄鉄道敷を本件水面の申請人主張の部分に設けることとなつたのである。

(2) ところが、本件水面の海底は、五メートルないし二五メートルの深層までヘドロ層であつて、重圧に対する支持力が皆無に近く、更にその下の岩盤が急傾斜の千枚岩であるため、重量構造物を支持するに適当な地盤ではない。それ故に高架跨橋の工法では、鉄道車両(一両七〇トンの六両連結が予定されている)の運転に安全を期することはできないので、市民の中には架橋工法を希望する者もあつたけれども、やむをえず本件水面を埋め立ててその埋立地上に鉄道敷を建設し、これに並行してバイパス道路を建設することとなつたのである。

(3) 本件水面に敷設される鉄道敷の構造は、巾員一三メートル、高さは最高約六メートル(正確には六、〇五メートル)最低五、三五メートル、延長一三五メートル(うち一五メートルは明慶川水路を越える橋梁)におよぶものであるが、右の高度を必要とする理由は(イ)北方では現国道の方から岸壁埠頭へ至る市道(巾員一三、五メートル、うち歩道部分六メートル)を鉄道敷下三、一〇五メートルで立体交ささせるためと、(ロ)南方では明慶川水路(巾員一二メートル)に満潮位で二、五一七メートルの高さで橋梁を架し、小舟の出入を可能にするためと、(ハ)そのやゝ北方の御木本駐車場では岸壁埠頭への通路を鉄道敷下に地下道として設け観光客、住民の通行を可能にするためであつて、いずれも必要やむをえない理由によるものである。

申請人は、架橋方式や沈埋トンネル工法をもつて代えるべきであると主張するが、架橋方式を採用している東海道新幹線は世界に誇る超高速鉄道として巨額の費用を投じた日本第一の幹線であり、また沈埋トンネル工法によつた東京都、大阪市の地下鉄もまた同じく営団や大都市が財政資金を投じた都市の地下専用の鉄道であつて、地方鉄道の地上の局部路線とは規模性格を全く異にするものであるし、仮りにこれらの工法を採用するとした場合には前後相当の遠距離地点から勾配をつけなければならないことと地盤脆弱な海底であることから、地理的条件上および施設の安全を期するうえで不可能、無理を要求する以外のなにものでもないことにならざるを得ない。

また申請人は現路線並びに車両を改造すればよいと主張するが、現路線(軌間一、〇六七メートルの狭軌)は鳥羽市内各所において曲線半径一〇〇メートル以下の急カーブをなし、現在でさえ特別認可を受けているものであるから、これを現在の大阪線および名古屋線から直通乗り入れをするために、曲線半径一六〇メートル以上あることを要する広軌(一、四三五メートルの標準軌間)とすることは鳥羽市街地の地勢上からも到底不可能である。

(4) このようにして、バイパス道路敷および鉄道敷予定水面のみを埋め立ててその内側に約二、七〇〇平方メートルの扇形水面を残した場合には、埋立てた道路敷および鉄道敷が岩盤の性質上円弧すべりを生ずる危険があるうえ、明慶川からの汚水の流入と停滞を招き、市街地の衛生上および美観保持のうえでも放置できない水面と化するため、右の水域も当然埋め立てなければならないところ、被申請人鳥羽市においては、その一部を市道開設の用地として確保する必要があつたうえ、偶々別件の公有水面埋立事業(国鉄鳥羽駅裏側)による漁業補償を解決するうえで右の埋立地を取得する必要もあつたので、被申請人鳥羽市も本件水面の埋立事業に参加したのである。

(5) ところで、本件水面の埋立工事は、被申請人近鉄が三重県知事および被申請人鳥羽市の委託を受けて行なうものであるが、後記のように、その工事に当つては周辺におよぼす騒音等の被害を最小限度に止める考えであり、また工事中に一時的に生ずる岸壁利用の阻害については代替施設コンツーム(浮桟橋)を提供する用意がある。

従つて、被申請人らが最善の被害防止の手段を怠つていないことは明らかであろう。

(三) 申請の理由四、の(三)の事実中、被申請人らの悪意の事実は否認する。

五、申請の理由五、の被保全権利はすべて争う。

六、申請の理由六、の仮処分の必要性は争う。

七、抗弁

先にも述べたとおり、本件水面の埋立工事は、被申請人鳥羽市および三重県知事の委託を受けて、被申請人近鉄が行なうのであるが、被申請人近鉄としては杭の打込操業を抑制しダンプカーの走行を規制するなど充分な配慮をなし、周辺におよぼす騒音、震動、土埃りなどの放散流出による生活妨害事実の発生を現在の工法で可能適当と認められる限りこれが防止の措置をとることにしているし、また申請人が主張する眺望なるものは法の保護に値する利益であるか否か甚だ疑わしいものであるから、本件水面の埋立工事等によつて申請人が一時的に若干の騒音、震動、土埃りの影響を受け、完成後において眺望に一部障害を生ずるとしても、これらの影響は申請人の本件土地、建物の利用そのもの、あるいはその営む観光旅館業に重大な侵害を与える程度のものには至らないものと信ずる。

一方仮に本件水面の埋立工事等が禁止された場合、被申請人らが被る損害は実に量り知れないものがあり、大凡次のとおりである。

(一)  被申請人近鉄の有形損害

(イ) 宇治山田と賢島間三八、七キロメートルの新線敷設計画は鳥羽市岩崎桟橋付近で断絶されることになり、結局鳥羽市と賢島間二五、四キロメートルについては実施を断念せざるをえなくなるが、現在既にこの間の軌道改良工費として約七億円が支出済であるからこれがほとんど冗費と帰するほか、更に奥村組等契約済の工事請負人に対しても解約に伴う補償が必要となり、この金額は約二億六、〇〇〇万円に達する見込みである。

(ロ) 宇治山田と賢島間に新線が開通した場合には、一日三〇〇万円を下らない運賃収入が見込まれるところ、これもまた失なうことになる。

(二)  被申請人近鉄の無形損害

被申請人近鉄は鳥羽市および奥志摩地方五か町村に対して万博を目標に新線の完成を公約し、物心共多大の犠牲と努力を傾注してきたが、これが徒労に帰すばかりでなく、多大の信用失墜を招くことは必至である。

(三)  被申請人鳥羽市の損害

本件水面の埋立工事が中断挫折された場合、鳥羽市の社会、経済上におよぼす損害は多大なものがあり、住民の福祉にとつても重大な障碍を招くことになるが、この住民の損害はとりも直さず被申請人鳥羽市の損害でもある。

そこで被申請人らが埋立工事を施行せんとする本件水面と申請人が観光旅館業を営む本件土地、建物の地理的関係について検討し、また両者について過去から現在に亘つて慣行された利用方法について考慮し、他面前叙の埋立工事の公共性と一旅館の眺望といずれの利益が優先されるべきかを比較し、更には相互の前示利害得喪につき考察するときには、本件水面の埋立工事等によつて生ずるであろう申請人に対する影響のごときは、申請人において一般に受忍すべきものであると認めるのが相当である。従つて申請人の差止請求は到底許容されるものではない。

第五、抗弁に対する申請人の答弁

抗弁事実は否認する。

第六、疏明〈省略〉

理由

第一、本案前の抗弁について

本件仮処分申請の趣旨は、被申請人らは三重県鳥羽市鳥羽一丁目先の公有水面中別紙水域目録記載の水域につき埋立のための一切の工事をしてはならないというものであるところ、被申請人らは右の本件水面につき鳥羽港港湾管理者の長三重県知事から公有水面埋立法に基づく埋立の免許を受けて本件水面の埋立工事を施行しようとしているものであることは当事者間に争いがない。

ところで、公有水面埋立法に基いて発せられる地方長官の埋立免許は、被申請人ら所論のとおりいわゆる特許に属する行改処分であつて、それはこれを受ける者に対し特定の公有水面をすべての者に対抗して排他的に埋め立てることにより土地を造成し、竣功認可を条件にその竣功認可の日に埋立地の所有権を取得させる権利を設定するものである。

そうして、埋立を希望する者に対して、法が当該公有水面の管理者の長をしてかゝる権利の創設、授与を許容したのは、公有水面の埋立は、元来国土の狭少な我国において土地を造成するのであるから、これが公共の福祉に寄与するものであること勿論であるけれども、反面当該水面に権利を有する者(法第五条)や施設を有する者(法第一〇条)に対して少なからず被害を与え、更には対象が自然の公物であるだけに地元住民などその他の利害関係人に及ぼす影響も少なくないために、激しい利害の対立を招き、もし工事施行者においてそのすべての利害関係者の同意承認を得なければ工事に着手できないとするならば、事実上この種工事は実施不可能となるところから、法は公共の福祉増進の見地から国の公権力をもつて一定の要件と手続のもとに多数の権利者の意思如何に拘らず埋立に関する法律関係を一律に形成させ、その形成された法律関係を実現する埋立工事自体に対してはなんぴとも直接これを阻止し得ないものとし、もつて当該水面の埋立工事の遂行を容易ならしめようとしたものと解される。このことは、公有水面埋立法第三条ないし第一一条等の規定と同法の立法趣旨に徴して明らかである。(ちなみに法第八条所定の工事着手の制限も第一次的には埋立権者が判断する建前になつているから、この規定は法第五条の権利者に対して工事差止の権利を認めたものではない。工事着手に不服のある法第五条の権利者としては、工事監督権者に対して法第三二条所定の措置をうながすか或いは民事上の損害賠償を求め得るにすぎない。もつとも、このような法律関係を形成する免許処分が違法である場合に利害関係人が行政訴訟をもつて右処分の取消、ときにはその効力の一時停止を求めることはできる。)

そうとすれば、被申請人らの本件水面の埋立工事は三重県知事のなした埋立免許処分によつて形成された法律関係を免許権者において実現する事実行為にすぎないけれども、被申請人らのかゝる工事を全面的に禁止することは、実質上三重県知事のなした免許処分の効力を停止する作用を営むことになるから、そのような内容の本件仮処分は、たといそれが私人間の権利関係の訴訟を本案訴訟とするものであつても、行政事件訴訟法第四四条の制定趣旨に鑑み許容されないものといわなければならない。

従つて本件水面の埋立工事そのものの全面的禁止を求める本件仮処分申請は本案の理由について判断するまでもなく不適法なものとして却下を免れない。

第二、もつとも、弁論の全趣旨に徴すると、申請人は本件水面の埋立自体のための工事一切のほかに更に被申請人近鉄において埋立工事竣功後に埋立地に設置する鉄道敷建設工事についてもこれを禁止する仮処分をも求めているものと認められないでもないところ、被申請人近鉄の右工事については仮処分が許容されるから、該工事に対する申請の理由について審究しておく。

一、申請人は鳥羽湾の本件水面に近接して所在する別紙不動産目録第一の(一)第二の(一)記載の各土地建物を所有しその隣接土地、建物である申請人の代表者小久保健蔵所者にかゝる同目録第一の(二)、第二の(二)記載の各土地、建物を占有し、以上の本件土地、建物において、美しまと称する観光旅館を経営すると共に鳥羽湾対岸の坂手島においても別館ニユー美しまと称する観光旅館を経営し、双方で年間一億九、五〇〇万円の売り上げを得ていること、一方被申請人近鉄は本件水面の埋立工事後、その所有に帰する埋立地(別紙水域目録第一記載該当部分)に別紙工事目録第一記載のとおりの鉄道敷を建設する予定であること、被申請人近鉄のこの工事が開始された場合には、コンクリート杭の打ち込み作業ダンプカーの走行および土盛作業そのものにより、程度は別として、騒音土埃りなどが申請人の所有あるいは占有する本件建物に放散流入するであろうこと、また工事完成後には、別紙水域目録第一記載該当部分を最も高い箇所で東京湾中等潮位から高さ約六メートルに達する土盛による鉄道敷が横切ることになることは申請人と被申請人近鉄間に争いがない。

そして成立に争いのない疏甲第六、二〇号証、証人小久保肇の証言により成立を認める同第三号証、同第四号証の一ないし六、同第五号証、同第六号証に右証人の証言を綜合すると、申請人が美しまなる観光旅館を経営する本件建物は、一階に客室五室、二階に客室九室と大広間一室、三階に客室一一室合計二六室の客室広間があつて、そのほかホール、浴場、事務室、女中部屋、私室、厨房などから成つているが、二階の五室(黒潮、はまゆう、明石、舞子、須磨)と三階の四室(鶴、亀、熊野、伊勢)の合計九室を除いたその余の各客室、広間はいずれも本件水面側の海に面して建築されており、現在そのうち一階の二つの客室と、二階、三階の海に面した各客室、広間(二階五室、三階七室)からは、真珠島を中心にして本件水面から遠く安楽島方面に至る鳥羽湾上の自然美と眼下の岩崎桟橋および付近の岸壁(物揚場敷)から真珠島その他同湾内の島々を廻る遊覧船および定期船の発着する光景を望観することができるようになつていること、そして申請人は従来から「名高い真珠島が庭園がわりです」と記した宣伝用パンフレットを出すなどして前記の眺望を有力な宣伝材料として一〇年余利用していること、現に申請人方に来遊する客はほとんどが海に面した部屋を希望している関係上、本件建物の客室利用率は、年間を通じて右の眺望が不可能な客室においてはせいぜい四〇%にすぎないけれども、眺望可能な客室においては五〇%以上七五%にも達しているところ、被申請人近鉄の本件鉄道敷建設工事完成後には、この利用率の高い客室からの眺望は、現在眼下に展開されている遊覧船等の発着する光景が本件水面の埋立自体によつて死滅せられる点を埓外としても、鳥羽湾内の自然美が土盛の鉄道敷にさえぎられる結果、一階の前掲二室からは全く遮蔽されることになり、二階の前掲五室からは立つた姿勢でようやく真珠島以遠の景観だけが可能となり、三階の前掲七室の場合には立つた姿勢で二階と同様真珠島以遠、座つたまゝでも遠く安楽島方面だけは望見できるという程度に阻害されることが一応認められる。

しかして成立に争いのない甲第七号証および証人小久保肇の証言によれば、申請人は年間約一億九、五〇〇万円の売り上げを得ているけれども、別館ニユー美しまの買収などのために融資を受けた一億九、八〇〇万円余の借入金に対する利払いに追われて現在でも(昭和四三年八月三一日決算)利益はない経理状態にあること、もつとも本館美しま、すなわち本件土地、建物における営業収入は別館を合わせた総収入の約三五%に当る年間約五、五〇〇万円にすぎないことが一応認められ、右事実に前段認定の各事実を併せ考えるときは、被申請人近鉄の鉄道敷建設工事が完成した場合には、本件建物南側の海に面した一四の客室、広間からの眺望が前認定のとおり相当阻害されることになり、その結果、申請人においては単に右客室からの収入低下を招くだけでなく、本件水面埋立の結果生ずる鳥羽湾内の景観の変化と相俟つてのことではあるが、観光旅館美しま本館としての魅力も低減して申請人の観光旅館業全体の経営上にも影響する打撃を被るであろうことが一応推認される。

しかし右の工事実施中に放散流入するであろう騒音、土埃りの程度、分量についてはこれを推測しうる疏明なく、また工事の性質上その実施中にもクレーンや工事足場の組立により、一時的、局部的な眺望阻害が生ずるであろうがその程度についても疏明はない。

二、そこで大凡以上のような事実関係のもとにおいて申請人主張の被保全権利の有無について検討する。

(一)  先ず被申請人近鉄の右工事が完成したときには申請人の本件土地、建物からの眺望が前認定の程度に阻害される結果を招くことになるためこれが申請人の本件土地、建物に対する所有権ないし占有権、あるいは営業の利益(いわゆる営業権)を侵害するものとして、さらには不法行為として右の工事禁止が許容されるか否か順次判断する。

1 およそ景勝地における土地、建物からの眺望の利益なるものは、当該土地建物から隣接する他人の土地、水面など(公物を含む以下同じ)の空間を通して他人に属する特定の区域、場所の優れた景観を見渡すことができる利益であるから、いわゆる眺望地役権が設定されている場合その他契約関係の存在する場合は格別、そうでない限りそれは他人に属する景勝地の自然から一般的に与えられる恩恵にすぎないものであつて、排他的な権能として当該土地、建物の所有権、占有権に当然附随するものではない。

それ故、たとい当該土地、建物からの眺望区域がその権利者によつて埋め立てられ、あるいはそこに工作物が設置されたために当該土地、建物における従来の特定区域に対する眺望が阻害されることになつたとしても、このような眺望の阻害は、要するに一方は自己の権利に属する区域を自由に利用しただけであり、その結果他方はそれまで事実上他人の土地、水面などの空間を通し他人の土地、水面などの自然から与えられていた恩恵が享受できなくなつたというだけのことであり、これが直ちに当該土地、建物の所有権占有権の侵害となるものではなく、このことは当該建物が旅館あるいは店舗であつて客室が景観の優れた特定の区域、場所を眺望できるように建築されていても同様であり変るところはない。

従つて、本件の場合においても、本件建物から鳥羽湾内を臨む従前の眺望が被申請人のなす鉄道敷建設工事により前認定の程度に阻害されることになるとしても、これをもつて申請人が本件土地、建物に対する所有権ないし占有権を侵害されたとして右工事の禁止を請求することは許されないものといわざるをえない。

2(1)  そこで、次に営業の利益(営業権)を侵害することになるか否かであるが、申請人の場合は真珠島を中心として本件水面から安楽島方面におよぶ鳥羽湾内の眺望を営業上の有力な宣伝材料にとり入れ、既に一〇年余久しくこれを重視した観光旅館を経営してきたものであるから、この眺望という資源は営業上の一つの利益として、これと衝突する他の諸般の法益との適正なる調和を顧慮したうえで可能な限りの法的保護を拒否される理由はない。

もつとも、権利者によつて眺望区域内に工作物が設置された結果として生ずる眺望の阻害は、騒音臭気等の放散流入による生活妨害のように積極的な侵害とは態様を異にし、また等しく消極的侵害でも日照通風の遮蔽とは、それが快適で健康な生活享受のために欠くことのできない生活利益の侵害であるのに対し前者は営業上の利益という純粋に財産上の利益に関するものである点において性質を異にするものであるから、他の諸般の法益との適正なる調和点を求めるのに騒音臭気等による生活妨害とも、また日照通風の遮蔽による生活妨害とも同一の標準によつて処理することはできないわけであり、より慎重厳格な衡量のもとにおいて権利行使の結果生ずる眺望の阻害が被害者において社会通念上一般に受忍すべき限度をこえるに至つたと認められるときは、阻害行為者はその被害者に対してもはやそれが社会的に許容された適正なる権利行使であるとは言い得ず、よつて生じた損害を賠償すべき義務を生じ、ときには被害者において侵害の排除予防(差止、禁止)もなしうるものと解すべきである。

そして受忍限度をこえる侵害であるか否かは加害行為の態様、加害者の意図目的、加害行為の社会的有用性、損害回避の可能性、侵害の程度等の事情、殊に差止禁止の許否については、差止、禁止によつて受ける加害者の損害、社会的影響をも比較検討してこれを決すべきである。

(2)  ところで加害行為の態様に関しては、前叙のように、被申請人近鉄としては自己の土地に鉄道敷を建設するというものである。

(3)  また加害者の意図に関しては、後記認定のような工事目的と証人西田邦彦、同谷原武夫の各証言を併せ考えると被申請人近鉄には申請人の営業を妨害する意図など全然ないことが認められる。

(4)  そうして被申請人近鉄が本件水面を埋め立てその埋立地に高さ約六メートルの土盛鉄道敷を建設する計画を決定した経緯、理由は次のとおりである。

成立に争いのない疏乙第一号証、同第二、三号証の各一、二、同第四号証の一ないし三、同第七号証ないし第一〇号証、同第一一号証、同第一二、一三号証、証人水谷英哉、同雨川芳之助、同西田邦彦、同谷原武夫の各証言を綜合すると、

イ 被申請人近鉄は、その保有する志摩線(鳥羽市、阿児町賢島間二五・四キロメートル狭軌)沿線地域の各町からの要望もあつて、予てから伊勢市宇治山田駅を終点としている名古屋線および大阪線(いずれも広軌)で現在運行させている車両を英虞湾入口の賢島まで直通運行させるための路線を開設し、いわゆる奥志摩地方を中京近畿両圏に直結させることによつて、観光地奥志摩地方を開発することを計画し、宇治山田駅から鳥羽市を経由しないで、ほぼ直線で賢島に至る新線を敷設すべきか(一辺案)それとも志摩線を広軌に改良すると共に、同線の鳥羽駅と宇治山田駅間に新線を敷設するべきか(二辺案)検討した結果、鳥羽市および同市市民の強い要望に応え、昭和四二年七月後者の二辺案によりこれが実施を決定したところ、鳥羽市内を縦貫している国道一六七号線(伊勢市から鳥羽市を経て賢島に至る)の管理者三重県知事、鳥羽港港湾管理者三重県および地元の被申請人鳥羽市においては既に昭和三九年頃から狭隘な岩崎桟橋附近の雑踏と国道一六七号線の鳥羽市内における交通渋滞を緩和するための対策として国鉄および近鉄志摩線の鳥羽駅裏に当る佐田浜を約六万八、〇〇〇平方メートルを埋め立てて同所に湾内を廻航する遊覧船、定期船等の発着する公共埠頭、バス発着場、駐車場更には観光施設なども新設すると共に同所に接合する国道一六七号線のバイパス道路を本件水面上に開設し、もつて鳥羽市における海陸の交通機関、観光施設を有機的に統合することにより鳥羽市の市街地、港湾の整備を計る計画を立てていた関係上、被申請人近鉄としても、右の交通機関等の綜合計画に合致した路線を敷設するために、被申請人鳥羽市および三重県側と協議の結果、既設の志摩線は同市市街地の各所で道路と平面交叉しているうえに曲線半径一〇〇メートル以下という屈折急な線形をなしており、現在でも特別認可を受けているものであることから、これを広軌に改良することは余りにも市民に与える被害、影響が大であるし、また危険でもあるため、市街地に当る鳥羽駅から市内中之郷に至る区間には新しく鉄道敷を建設することになつたが、山裾が海岸線に迫つている帯状地に人家が密集している鳥羽市において、市街地をさけ、かつ前記の交通機関等の統合計画にもよく合致する場所としては結局海岸線以外にはないため、既に国道バイパスの開設が予定されている本件水面の内側に並行してこれを敷設することになつたこと、

ロ 本件水面の海底は、二五メートルの深層までいわゆるヘドロ層であつて、その下の岩盤も節理の発達している変成岩が急傾斜しているために、高架跨橋工法による鉄道敷では高速車両の運行に安全を期しがたく、また沈埋トンネル工法も単に工費が莫大になるだけではなく、海底の地盤が脆弱であることと鳥羽駅から本件水面までの距離が僅か二~三〇〇メートルであるため軌道における可能な勾配を得ることができずして不可能である事情から、結局本件水面を埋め立てる以外には鉄道敷を建設する方法はないこと、

ハ そうして、敷設される土盛鉄道敷が最も高い箇所で東京湾中等潮位から六、〇五メートルの高さを必要としたのは、国道一六七号線から埋め立てられる本件水面先に築造される岩壁埠頭へと通ずる開設予定の市道とバス通過に必要な三、一〇五メートルの高低差を保つて立体交叉させるためと、明慶川水路と、小舟の出入に必要な満潮位で二、五一七メートルの高低差を保つ橋梁を架するためであること、

以上の事実が一応認められ、更に成立に争いのない疏乙第一七号証と証人谷原武夫の証言および弁論の全趣旨に徴すると、被申請人近鉄の鉄道敷建設工事が差し止められたときには

(5)  被申請人近鉄としては、志摩線改良工事に既に投入した(昭和四四年五月末日現在)金七億五、三〇〇万円が結局冗費となるほか、工事請負契約の一部解約に伴い支払うべき出捐金、名古屋、大阪両方面からの直通運転が実現された暁において見込まれる一日金三〇〇万円を下らぬ収入増をも失うことになるなど金銭上莫大な損害を受けることになり、かつ信用上でも多大の損害を受けるであろうことが疏明される。

(6)  以上に認定してきた諸般の事情を綜合して考えると、被申請人近鉄は、申請人の営業を妨害する意図をもつて鉄道敷建設工事をなそうとしているものでないことはもとより地方鉄道業を営む株式会社である以上自社の利益を目的として本件水面を埋め立て、鉄道を敷設しようとするものであることは否定すべくもないが、これを社会的有用性という観点からみるときは、この鉄道開通の暁には鳥羽市並びに奥志摩地方は交通運輸上近畿圏、名古屋圏に直結されることになり、しかもこれが国鉄参宮線、国道一六七号線という既設の主要な交通路線のみならず、鳥羽湾内を廻航する定期船、遊覧船とも接合する結果、伊勢志摩国立公園地域における総合的な交通大系が実現されることになり、それは同地域の観光はもとより、産業、文化の向上にも大きく貢献するものであることは誠に明らかであるし、もし本件鉄道敷建設工事を禁止することによつて被るであろう被申請人近鉄の右認定(5) のような損害とこれが施行されたときに被るであろう申請人の先に認定掲記した程度の損害とを比較衡量してみるとき、申請人旅館が右工事によりその眺望を阻害されるとしてもそれは申請人において当然受忍すべきものであつて、これをもつて申請人が営業の利益を違法に侵害されるとかあるいは不法行為を構成するとか言い得るものではない。

(二)  なお工事中に発生する騒音、土埃りの放散、流入によつて、本件土地建物の所有権占有権を侵害し、営業を妨害されるという趣旨の主張についてはその予想される騒音、土埃りの分量、程度が皆目不明であるから、結局その被保全権利の疎明はないことに帰する。また、申請人は右工事に対してはいわゆる公害による生活利益の侵害救済と同一の法理によつても差止請求権が認められるべきであると主張するようであるが、右の法理は万人が等しく平穏で健康、快適な生活を享受するべき生活上の利益が侵害された場合について採られるものであつて、それは本来自然人の生存権、人格権保護に関するものであるから、本件のように法人の財産権あるいは財産権的利益の保護に関する場合においては、けだし適用さるべき次元を異にし、同一の基準によつて処理し得ないことは先にも説明したとおりである。

従つて、申請人は被申請人近鉄の鉄道敷建設工事についてもその禁止を求めることは許容されないものといわなければならない。

第三、結び

以上の次第であるから、申請人の本件仮処分申請は、不適法、或いは被保全権利を欠くものとして失当であり、却下を免れない。

よつて申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 後藤文雄 杉山忠雄 坪井俊輔)

(別紙)

不動産目録

第一、土地目録

(一) 有限会社美しま所有分

所在 鳥羽市鳥羽一丁目

(1)  弐参八弐番弐 宅地 壱壱七・〇弐平方メートル(参五・四〇坪)

(2)  弐参八弐番参 宅地 参四五・八壱平方メートル(壱〇四・六壱坪)

(3)  弐参七九番壱四 宅地 八五・九五平方メートル(弐六・〇〇坪)

(二) 小久保健蔵所有分

所在 鳥羽市鳥羽一丁目

(1)  弐参八弐番壱〇 宅地 七八六・壱壱平方メートル(弐参七・八〇坪)

第二、建物目録

(一) 有限会社美しま所有分

所在 鳥羽市鳥羽一丁目弐参八弐番地の壱〇・同番 地の弐

(1)  家屋番号 壱区五壱壱番の弐

居宅兼旅館 木造一部コンクリートブロック造瓦葺一部亜鉛メツキ鋼板葺 参階建

壱階 壱弐壱・八八平方メートル

弐階 壱壱壱・壱四平方メートル

参階 壱〇八・弐六平方メートル

(二) 小久保健蔵所有分

所在 鳥羽市鳥羽一丁目弐参八弐番地の壱〇

(1)  家屋番号 鳥羽町第壱区五壱壱

店舗 鉄筋コンクリート造陸屋根 参階建

壱階 弐六八・壱六平方メートル

弐階 弐六八・壱六平方メートル

参階 壱壱六・弐参平方メートル

(2)  家屋番号 鳥羽町第壱区参九六番四

店舗 木造瓦葺 三階建

壱階 参八四・七九平方メートル

弐階 弐〇参・五参平方メートル

参階 弐〇参・参〇平方メートル

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